第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 諸子の中には己が思ふことを彼に伝へんとして、その事柄を言葉にするあたはず。唯思ひのみはたらかせて、彼に通ぜしめんと計る時、彼は無言のうちに是を受け入れて、その思ひを満足せしむることの体験はあらざるか。眼と眼を見合せて、その思ひが彼に通ずる意味を知るや。是等を言葉な... 続きをみる
2023年5月のブログ記事
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方向に力をむけよ。然して神を知り、天の高きをさとりて、一日も速かに天理に従ひ正しき道を歩みて、神の意に従って移さるべき処に、永住せんことを計るべし。動物性本能に囚はれ居ては、永久生死の苦を味ふ他なかるべし。 動物にて生れ、動物にて死し、又も同じことを幾度も繰り返し居りては、苦中の苦を招くのみにて、... 続きをみる
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かへる。或は霊より出でて霊にかへると見るも可ならん。 諸子は肉体あるが故に、知慧は働らくと思ふは誤謬なり。知慧あるが故に肉体を働かせ居るなり。知慧が肉体か、肉体が知慧か。是を一如に化せしむれば唯無と答ふるの他なからん。この言葉も不確定語なり。されど後に到って理解することあらん。 今は唯かく語りおく... 続きをみる
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第八章 天に昇れば雲の上人 絶対自然の法則は軽きものは上昇し、重きものは下降す。即ち引力圧力のあるは絶対自然の法則なるべし。さればこそ前記の講目の如き俗言はあるならん。 肉体を地上に置き魂を天界に送るの意味より、この言葉は出でたるならん。位高くならば人より尊ばる。諸子のものを尊ぶは高きを指すならん... 続きをみる
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絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 p117〜123
故に拝みせずとも神は守り給はん。されば神の道を正しく歩み居らば、祈りなどの必要もなかるべし。修養修行とはむづかしきものにあらず。直き心に化せしめんがための方法なるが故に、魂を直く清く磨きてこれに徹せしむる方法 に他ならず。 何を苦んで難行苦行するの必要もなからん。清き心直き心のものは美なるが故に、... 続きをみる
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絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 p113〜116
や。分時憩はば其だけおくる。 諸子の世界は矢の如き光陰なるが故に、いささかの油断も禁物なり。 無始終霊子によつて造り出だされし不滅母は、多くの線を生みて、その線に従ひて其々のものを作り出して、其が種々様々の有形無形のものを現はし居ることは、諸子も既に認知したるならん。 即ち光明とは線の流れを云ふな... 続きをみる
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絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 p108〜112
くは語りしなり。其は兎に角、かの修行者が悔悟したる事柄に対していささか語らん。此例話を諸子は唯お伽噺の如く聞きのがして、斯る事はつくりばなしの空想より出でたるものとして放棄なすならん。 我の語らんとする処はその法力が果して、なす事を得るやに関して語らんとす。 遯世したる真の行者はあまり魔法を用ゆる... 続きをみる
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絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 p104〜107
断し居るは、末だ学理をきはめざるが故なり。 混合食の中に動物性の養分を盛に摂取すれば、従って消化力が遅滞し虫様突起を犯すによって是を切断せざれば、人命を損傷する危険にさらさるる故ならん。されど此組織のある以上、其に対しての食事を研究すれば断ることをなさずとも可ならん。 虫様突起は無用のものにあらず... 続きをみる
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絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 p100〜103
を一体の如く見るならん。 又或場合には神の世界がありて、其処に多くの神々が集り居りて、特殊の世界を作り給ひあるが如く語り居る宗教者も、きめて多し。 例へば全宇宙の中に特別なる世界ありて、神はその処に集りて、神としての生活を営み居るならんとの想像より、神を考ふるが故に神を誤つこと多し。 汝等が住める... 続きをみる
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絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 p96〜99
第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 無始終霊子と云ひ且つ不滅母と称する区別は、相似て等しからず。故に不滅母より別れたる活動霊子、 補助霊子の区別も、従つて無始終霊子の作用に於ても、相違ある事を承知せられたし。即ち無始終霊子と云ふは、不滅母の親なりと見なさば可ならん。 故にこれを順序的に考ふれ... 続きをみる
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絶対界 巻之二 第六章 活動霊子(仮称)と補助霊子(仮称)について P92〜96
霊子を一方に吸収せしむれば、他は薄弱となりてそのはたらきをにぶくするが故に、斯る障碍を引き起す結果となるなり。是等は肉体障碍より現はるる現象に他ならず。活動霊子補助霊子は吸収力の程度によって、働きも自然に異なる事は云ふ迄もなし。 是等の霊子あるが故に、すべての有形なるものに化せられ行きて相対性とな... 続きをみる
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絶対界 巻之二 第六章 活動霊子(仮称)と補助霊子(仮称)について P88〜91
即ち宗教者は神仏の名を以てして、悩める衆人の慰安者たらんとなすに過ぎずと云ふも過言にはあらざるなり。故に彼等は神仏を方便に用ゆる事も多し。故に彼等の多くは己不利なる時はすべてを神仏の罪に帰せしめて、自らはのがれんとする如き悪埒なる不心得者すらあるによって、学者間には是を虐げんとする傾向ありて、宗教... 続きをみる
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絶対界 巻之二 第六章 活動霊子(仮称)と補助霊子(仮称)について P84〜87
例へば太陽系宇宙より見る時は、太陽を中心にして是によって保持さるる凡てのものは、枝葉なりと思ふならん。もとより学理より宇宙を考察せんとならば、太陽を中心として考へを廻ぐらさざるべからず。恰も車の輪の如く心棒を中心とするにあらざれば車は廻転せざるべし。その中心の心棒が不完全ならば、車輪は廻転すること... 続きをみる
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絶対界 巻之二 第六章 活動霊子(仮称)と補助霊子(仮称)について P80〜83
ざれば今日改む。是さとりなり。今行ひ正しからざれば今是を改む。是さとりなり。 さとりには別段むづかしき法あるにあらず。行へば忽ちなし得るはさとりの法なり。聊か時間を要するさとりと、瞬間にさとり得るとの相違あるの み。悪きことと知るはさとりにして、改めざるはさとりを得てなさざるが故なり。 なさざるは... 続きをみる
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絶対界 巻之二 第六章 活動霊子(仮称)と補助霊子(仮称)について P73〜79
つばめが安息所として羽根を休め居る電線に、一度人間が指を触るれば忽ち焼き尽されて姿を歿す。 現在の人類は是等に関して最早不思議と感ずるもの一人としてあらざるべし。此理を知らざる古来の人類にこのことを語るとも、解することも難く唯恐怖に戦くのみにて、是を神の業とか悪魔のわざとか考ふる能力より他、何等の... 続きをみる
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※続き--- 集合なして其肉体の組織が完成するに従って、心のはたらきをなさしめ居るが故に、肉体の細胞悉くが失はるればその結合したるものは、悉く分解して飛散するが故に、人死すればすべては失はれてあとかたもなし。故に肉体亡ぶれ ば霊魂とか云へるものは影を止めず、滅するものにて、霊魂不滅などとは、宗教者... 続きをみる
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第五章 霊の動静について 我等常に諸子に対して拝みせよと語り居ることに対して、 諸子は何か神仏に対する尊敬の念を強くせよとの意味の如く感じ居る人もあり、又神仏の力がすぐれ居るに対して、己が希望を全うせんことを願はんとする如く感じ居るならん。斯る浅墓なる思ひにて拝みするは真の拝みにあらず。神仏を尊敬... 続きをみる
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※確認中 絶対界 第四章 絶対より見たる滅不滅の関係 P58〜63
※続き---- 例へば諸子は自然を克服したりと語り居る言葉は、既に光気素を現はしたるものにて、自然に順じたりと云ふ言葉は気光素の意味となるなり。 所謂克服したと云ふ言葉と、順じたりと云ふ言葉の意味に於てすら、諸子の考へは自然 を逆に用い居るが故なり。同じ一つの事をなし遂げたるに対してすら言葉の自然... 続きをみる
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※確認中 絶対界 第四章 絶対より見たる滅不滅の関係 P50〜57
第四章 絶対より見たる滅不滅の関係 -50- すべて物事を区分して考ふる時は、何事に限らず分離して其理をきはめずば解釈することはかたし。故に右と云へば左を考へ、我と云はば彼を聯想するによって相対関係となる。今ここに一つのものを見る時我とその物との対照によって、彼是と批判する事を得れど唯その物のみに... 続きをみる